黒いハンカチと新婦人

2016.09.09

 以前、作家の小沼丹氏のことに少し触れた。(「甘くないお菓子」参照
 そっけない甘さのなかに爽やかなあと味を残す、小沼氏の初期の中間小説風なのが私は大好きである。その中で、昭和32年から33年にかけて「新婦人」に連載された連作短編推理小説は「黒いハンカチ」は、いま一番かんたんに読むことができる氏の作品でもある。
 淡々としていながら、そこかしこにきらりと光るユーモア。<婦人雑誌の探偵小説>という軽妙な企画に小沼氏を引き合わせた新婦人の編集部には、拍手を送りたい。

 この推理小説の主人公、つまり探偵は、高台に建つA女学院の英語教師、ニシ・アヅマ女史。
 彼女は、空き時間に屋根裏で午睡をするのが愉しみというちゃっかり者であるが、友人から相談を受けたり、また事件に遭遇することがあれば、名探偵に変身する。
 「インド鶯」と呼ばれる同僚のヨシオカ先生(歌がすばらしく上手くまた色がとても黒いことから)、A女学院院長のタナカ女史(ソウセイジのように丸い手足を持つ丸っちい婆さん)、友人のスミス(のっぽで「蚊トンボ・スミス」に由来する)、ハムのように丸々と肥ったニシ・アヅマの女子大時代の師、ハムちゃんことハマムラ先生など、各回に登場する脇役の描写もゆかいである。

 私はミステリの世界には明るくないが、このニシ・アヅマ女史は、文庫版の解説を担当された新保博久氏によると「珍しい純粋観察型の探偵」ということになるそうである。彼女は目の前のものごとを常々観察していて、事件が起こると、記憶の中に糸口を見つけて暴きだす。殺人もあるが、窃盗や詐欺もある(未遂ふくむ)。ひとつの物語は数ページで終わるし、ニシ先生はあくまで飄々とした佇まい、読者が暗い気分になることはない。

 私は、好きな小説の初出は見てみたいので、掲載雑誌の「新婦人」を見つけると買うことにしている。今まで、まだ以下の三冊しか手に入れていない。

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昭和32年6月号 「青いハンカチ」掲載
昭和32年8月号 「十二号」掲載
昭和32年12月号 「手袋」掲載

 青いハンカチ? そう、のちの単行本出版時にはタイトルにもなった「黒いハンカチ」は、発表時はなんと青かったのである。

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 でも、青いハンカチなんて、普通あんまり使はないんぢやないかしら? それを一人の女が使つてゐるのを見て、そのすぐあとでこんどは一人の男の胸のポケットにもあるのを見た、となると何だか少し気になるんじやないかしら? それで、あたし、その男をよく見る気になつたの。よく見たら、スラックスとか、靴とか、顔とか、だんだん前の女が出て来る気がしたのよ。もし、青いハンカチがなかつたら、あたし、きっと気がつかなかったわ。 (新婦人6月号 「青いハンカチ」)

 小沼氏自身のあとがきにもあるように、単行本収録時には全体的にかなり手直しがされている。文庫版の編集部注によると、


 初出誌と突き合わせてみると、かなりの異同があることがわかった。文字遣いにしても、連載時のものは初版に比べるとずっと仮名書きが多い。これは、雑誌編集部で読者対象を考慮してひらいたものを、単行本化に際して元に戻したのではないかと考えられる。

 ということである。
 小沼丹の世界では、午後は午后であり、ここは茲であり、昼寝は午睡であり、ボールはボウルである。懐古調と思える文字遣いが、氏の手にかかるとまるでモダンで垢抜けた印象をつくる。この魅力が「新婦人」の誌上では分かりやすく直されていて、炭酸の抜けたサイダーのようになっているのは残念だ。

 「新婦人」は、文化実業社が出していた池坊の生け花雑誌で、表紙のタイトル上にも「いけ花の生活雑誌」「いけ花の女性雑誌」などと書いてある(号によって違う。書いていない号もある)が、内容は生け花一辺倒ではなく、ファッション、映画、生活の知恵や時事ネタなど、偏りなく載っている。
 巻末の「新婦人サロン」という読者投稿のページをひらくと、やはり華道を嗜む女性読者が多く、ニシ・アヅマ女史の名探偵ぶりを讃える投稿は、すくなくとも私の持っている三冊には見かけない。
 しかし、60年後、その小説のためだけにこの雑誌を買い求める人もいるのだから……。

 余談。この頃の新婦人の表紙は、新人の女優や歌手を画家の永田力氏(黒いハンカチの挿絵も担当)が描くというもので、8月号の表紙は、この年劇団民藝の「アンネの日記」の主役に抜擢された吉行和子さん。表紙ガールの特集ページでは、吉行淳之介氏が、妹についての記を寄せている。
 ご注目は、最後の「次回の予定」。吉行和子さんの親友として知られる富士真奈美さんである。偶然とはいえ、おもしろい。

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