獨逸語春秋記 石井漠氏と語る(1935年)

2016.09.25

作家の久生十蘭が、本名の阿部正雄名義にて連載した、有名人の訪問記。
とぼけたインタビュアーぶりが、たまらなくおかしい。うまいなあ。
前半では石井漠の稽古場の様子も垣間みえ、貴重な回だと思います。
「それは日本の舞踊がまだ金もうけの材料にならないからだネ。」という言葉は突き刺さる。80年後でも、まだなってないなぁ。


戦前の雑誌から
30分会見記「獨逸語春秋記 石井漠氏と語る」 阿部正雄
新青年 1935年(昭和10年)6月号
博文館 定価60銭

 混沌たるセエタアの上に、蘭の花を織り出したやや立派なる空色支那繻子の袖児なしを着用に相成り広大な稽古場の中央に突立って、大砲の煤払いような棕櫚頭でしきりにのの字を書きながら三十人ばかりの男女に稽古をつけていられるのが、これぞ当時著名なる飛燕堂漠々先生でございます。
 これは余談ですが、世の中にはどんな立派な着物を着ても、なんとなく垢じみているように見えるという頼母たのもしい型があるものでございます。一口に貧乏性とでも言いますか、こればっかりは何とも止むを得ないのでありまして、それもこれも生れつき、誰れを恨もうすべもないのでございます。
 しかるに、漠々先生に於かれましては、ちっともそんなところがないのでありまして、左手に銅鑼を携げ右にその撥をを持ち、成田屋(くだいめ)張りの大目玉を剥いて突立上ったその姿と言うものは、宛ら長崎で御難に逢った脱走相撲の如く、毛剃六右衛の又の乾分が瘧を患った如く、その威風は凛々とあたりを払いまして目覚ましいばかりの有様でございます。

 稽古場の板敷の上では、惜し気もなく手足を剥出しにした半裸体の雌雄の一団が、ここを先途と跳梁跋扈するのでありまして、その中には形のいい足もあり、それほどでないものもあり、そうかと思うと、足だとは思えないような奇抜なのもあるのであり、これが大根干場に暴風が来たように、前後左右に動揺しております。
 するとこの時、漠々先生は何を思ったか、突如声をはりあげて、咽ぶが如く恨むが如く次のように言われたのであります。
 「ソ、ソ、ソ、ソコヘ、ク、ク、車が出た!ク、クルマ、クルマ。」
 車、車と呼ばはりますと、右手の奥の方から、車懸りに手を繋いだ六人ばかりの女の子が、天井に目玉を据えて、ヤッシ、ヤッシと出てまいりまして左手の方へ通り過ぎてゆきます。
 「ヨーシ。そこで、ソノ、ハ、ハ、梯子の上にいるヒト。今度はバダッとその梯子からオヂル。・・・いや、オヂルと言うほどではないが、急いで、ソ、ソ、ソノ梯子から降りて下へネル。イーカネ。それをみなで取包いて悲観しながらオドリを踊る。ソレカラ先生が、ここで、ダ・ダ・ダ・ダンと銅鑼を叩いダラバ、すぐビダッとそのままの形で止まる。ノメクッタ人はノメクッタまま、手をあげたひとは手をあげたまま。絶対に動いてはイケナイ。……スルトダネー、舞台の燈が消えて、反対に空の方がダンダン、ダンダン明るくなる。……イーカネ、では、そこまでもう一遍やる!始め!」
 梯子からバダッと人が落ちると、大勢の踊子は急に憑かれたように跳ね上って、鯱に追われた鰯の群のように沸然雑然と紛糾し始めたのでありまして、飛ぶもの、這うもの、すべって転ぶもの、宛ら火の手の上った南京路の如く鼎の沸くような大混雑となったのであります。この間には漠々先生は木琴を叩き、鼓を鳴らし、鐘から太鼓までの下座を一手に引受けて国事多端を極めるのでありまして、その多忙なることはまことに目に余るばかりであります。私も追々と愉快になりまして、

「先生、これは仲々面白くなりました。しかしね、これは一体どういう趣向の踊りなのですか。」と訊ねますと、漠々先生は矢鱈に太鼓を叩きながら、
「これは東北のキ、キ、キ、飢饉の踊りでアル。」と答えられたのでありますが、見受けるところ一向にそんな模様がないのでありまして、みな元気一杯に跳ね廻っているだけのことでありますから、私も案外に思いまして、
「でもね、先生。みな面白そうにやっているじゃありませんか。向うにいる女の子などはいまこっちを向いてあかんべえをしましたよ。よっぽど不死身なんですね。尤も向うのストーヴのところに二三人ぼんやり座っているのが居りますが、するとあれが欠食児童なんですか。」と申しますと、先生は狼狽して、
「いやあれはオラのイ、イ、イ、だ。欠食児童と言う訳ではない。詰まらんことを言っては困る。」
「これはどうも失礼しました。…するとこの踊りはどういうところを現わしたものですか。どうもよく判らない。」
「つまり、一口に言えば東北飢饉の報知を受けて日本国中が驚いたところを現わしたものサ。」
「日本国中が驚く。-ははあ、判りました!するとここにいる一人一人が各府県を代表して驚いている訳なのですか。つまり、島根県も驚けば神奈川県も驚くという工合ですね。-すると向いにいるあの赤い顔して肥った女の子が埼玉県かなんかじゃないですか。」
「いや、ナ、ナ、ナ、なにも県別になどなっている訳じゃない。日本のコ、コ、興奮の状態をいろいろなポーズで表現したのだネ。」
「でもね先生、あそこで四ん這いになっているのがいますが、あんな興奮の仕方ってあるものでしょうか。不思議ですね。」
漠々先生は途方に暮れたような貌で、
「ソ、ソ、ソウ話が判らなくては困るナー。たとえば興奮に打ち倒されたと言うような訳だ。要するに一つの象徴だネ。」
「なるほどそれは判りました。すると、梯子の上に昇るのは国民の興奮が鰻上りに昂まったのを現したのですね。」
「いや、あれは東北の代表が上京して飢饉の惨状を天下に訴えるところを表現したものだネ。」
「すると、落ちるのは?」
「いや、どうもこれは困った。……要するに感極って落ちたのだネ。どうもそう根掘葉掘されてはやりきれない。」と、言いながらドン・ドンと二つ銅鑼を打ちますと、これが休憩の合図と見えて一同は汗を拭いながら水の引くようにそれぞれの床几に帰ってまいります。

「いや、これは仲々盛大なものですね。しかし、先生、あなた一人でこうしてなにからかにまで囃し方を一人で引受けるのは少し忙しすぎるようですね。もう少し人手をふやして、ピアノなんかも使う訳にはいかないのですか。」
「この間税金を払わなかったんで、ピアノからなにから、みな、サ、サ、サ、差押えて行ったネ。」
「おや、おや、それは困りました。あ、それで木魚なんかばかり叩いていられたのですね。」
と申しますと、先生は反り身になって、
「ナンデモナイサ。有難い事には舞踊は生きた身体が材料だからネ。カ、カ、カ身体が差押えられない限り、オラの主張を貫くことが出来る。オ、オ、驚くもんじゃないサ。」
「ナ、ナルホド収税吏も迂闊なもんですね。僕が収税吏なら先生の舞踊を押えますね。たとえば「山へ登る」なんかを押えて税金を払わないうちは公開の席で踊らせないようにする。」
「ナ、ナ、ナニオ、畜生メ。ソ、ソ、ソンナコトをしたらオラ黙っているモンカイ。あとからあとから百でも千でも新しい舞踊を作ってやってやる。オ、オ、驚くもんかェ。ナ、ナ、ナ、ナニガナンダ。」と、唾の飛沫を噴きながら激昂されますので、
「ま、ま、先生、そんなに激昂なさらないで下さい。」
と頻りに慰撫につとめますと、先生もようやく色を和らげましたが、余韻なお治まらぬ態で、
「ナンダイ、つまらねェ、オ、オ、音楽や絵は国庫の補助によって奨励されているのに、舞踊だけはなんの保護も受けずに、オラ達のような貧乏人の手に委ねられている。しかし、こいつァ逆に言えば有難いことで、オラ達のようなガムシャラな貧乏人の手の中にある間だけが、芸術は率直な発達をするんだからネ。」
 先生の舌頭いよいよ熱するに及んで、訥々として単語の出渋ることいよいよ烈しく、単語が停滞すれば更に一層やきもきするという訳で、先生に於かれましては、いまや意気冲天。
「オラはこう見えても一個の熱烈な民族主義者だ。日本民族は世界に於て最も優秀な民族にならなければならないと考えている。たとえば、ブ、ブ、舞踊にしたって、セ、セ、世界のどこに持ち出しても、ヒ、ヒケを取らないようなものにしなければならない。及ばずながら、オラはそういう精神でやってる。これからの日本の舞踊は、今迄のような、ひとりよがりな、雲を掴むようなものでは駄目だ。これからの舞踊は、情操を高めたり、体育の美学的な基礎になるような、次の時代生活に十分な連関を持つものでなくては駄目だ。」

 

 この時、先生の鼻下には透明なる一条の鼻水が下垂し来りまして、なんとも微妙な釣合を保ちながら左右に動揺し、まさに落ちんとするが如く、落ちざらんとするが如く、その危険なることは言いようがないのでありますから、私も止むに止まれず、
「先生、お話しの途中、つかぬことを申すようですが、実はね、さっきから鼻水が出ていますよ。…民族主義もいいですが、早く鼻水の始末をして下さらないとどうも気が気ではありません。」
 と申しますと、先生はその辺の新聞紙を引きちぎりがばと音を立てて鼻汁をかみながら、言われたのであります。
「しかし、言うは易く、行うは難しさ。」
「しかしね、先生、二十五年とはよく飽きもせずに踊られたものですね。これで金が残らないと言うんだから不思議な話です。」
「それは日本の舞踊がまだ金もうけの材料にならないからだネ。」
「それにしても、一体どういう理由で踊をやろうなどと思いつかれたのですか。ほかにもっといい思いつきはなかったのですか。」
「オラはむんかし非常に吃った。イ、イ、イ、今でも少しはどもるが、むかしはこんなもんじゃなかったネ。それで、一言もものを言わないですむ仕事を十ばかり選んでみた。結局踊っている分にはものを言わないですむ。それで、志を立てることにしたネ。」
「先生、あなたは獨逸に生れていたら、そんな苦労はしなくてもよかったかも知れませんね。」
「ソ、ソ、ソ、ソ。大町桂月先生もそう言っておられたヨ。……一体大町先生も仲々の吃りでね、むかし文章世界へ「吃音の弁」と言う感想を書かれたことがあった。オラは大いに知己を感じて、早速身の振り方を相談しに行ったネ。すると先生は仏蘭西語の本を出して読んで見ろと言われるんだ。だが、オラにフランス語を読ましたら、聞いてる方で腹が立つと言う位のものサ。先生も、これや、いけん、と言って、今度は獨逸語の本を読んでみろと言われるんだ。それでそいつを読むと、ナント不思議なことには、はっきりと獨逸後にきこえるのだネ。先生はすると、これなら大丈夫だから、一生懸命に獨逸語を勉強して、獨逸に行って学者になれ、と言われたヨ。……なにしろ獨逸語ってのは、一語一語ゆっくり刻むようにしてシャベルほどいいんだから、こいつをシャベルあいだは、吃りたくとも吃りようがないんだからネ。イヤ、世の中には有難い国語もあるもんだと思って感涙に咽んだネ。それで安心したせいか、それからは大分よくなった。これは〆たと思ったから楽石社という吃の学校へ入って蛍雪の功をつんだら、これをドウダイ僅か三ヶ月で卒業したからネ。学校では異例だと言うので是非学校へ残って先生をしてくれと言ったヨ。」
「なるほど、吃学校の秀才というのは異例です。」
「ナニ、ソ、ソ、ソレホドデモナイケレド。」

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<旧字体、旧仮名遣いについて>
旧字体及び旧仮名遣いは、新字体に改めました。また、現在一般的に読みづらいと思われる漢字についても、ひらがな及びカタカナに改めました(伯林→ベルリンなど)。
ただし送りがなは、現在一般的に使われているものとは違いがありますが当時のままに記載しています(暮らし→暮し、上がり→上りなど)。

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