桑野通子メモ #3 「桑野通子 スター・一瞥抄・2」

2017.06.30


美町 淑夫
蒲田 1935年(昭和10年)9月号


「ミッチーって、一体どういう訳で付けられたんか知ってる?」
 彼女のニック・ネイムはミッチーそれをふと思い付いたので、逢う早々聞くと、可笑しくも何ともないのに、顔をハンケチで伏せながら、身体の上半身うえはんしんをくの字なりに曲げて見せる。
 が、残念ながら、それが訳の説明とはどうしても考えられないので、しつこいようだが、もう一遍念の為に聞くと、
「ミッチー・グリーンて女優、知ってる?」
 と聞き返す。
 こう聞き返す所を見ると、彼女の顔の何処かがミッチー・グリーンにでも似ているんじゃないかの考えが浮かぶので、改めて彼女の顔を視入りたくなる。
 すると当の彼女は、知ってるでしょう—という表情を浮べながら、
「そのミッチー・グリーンが、何故そんなミッチーなんて名前を付けたか、私一ト晩中考えたが、とうとう判んないでしまっちゃったのよ」
 と、およそニックネーム由来とは、縁の遠いことを、つけつけと言うのである。で、是には此方こっちの方が負けてしまう。
 此の一時が万事−−−彼女の会話術というものは、実にうまい。そのうまい所が、恐らく彼女の身上であろう。そのうまい事も、彼女が問いつめられて困った場合の転身術、そんなものが殊更ら上手だと、思ってしまうのである。
 だが、映画を撮っている場合は、実に冷淡に近いまでに表情を失っている。此処にいう表情を失うとは、彼女の本当の生地をかくしている事を指して言うのであって、
「だって映画を撮ったり何かしてる時、放心してないと、その後からの人間になったりする時にとっても、骨が折れるんですもの」
 と、言い訳めいたことをこの場合決って付け加える。で、これを聞いていると、如何にも彼女が、映画スターとしての素質が充分にあるような気がして来る。
 矢張りこの場合も、一寸ばかり、彼女の巧妙な会話術の中へ、知らず識らず、引き込まれた事になりはしまいか?
 その彼女は、撮影所にいる時の、決って仲良しは、同じラッキー・セヴンの久原良子である。そして、撮影所の売店で、みつ豆を喰べる時も、また近くの明菓の売店で、コーヒーをかき回しながら、おしゃべりの一と時を送るのも、その相手は決ったように久原良子であって、
「同性愛だろう?」
 と、此の頃はあまりぱっとしないけれど、そうした言葉まで彼女を取り巻いて、飛び出すような始末である。
 そして、此の久原良子とのバッテリーでもって、撮影所からそのまま、銀座へ出て映画を観たりする時が、大分多いとかいう話なのも勿論のこと。
「お互いが大好きなの、生れない前からのお友達じゃなかったかしら?」
 と、そんな意味のことも、時折は言われている事を聞いたりする。
 その彼女も、本当のお友達は、以前同じ職場だったフロリダで、まだダンサーをしていた堀越さんらしい。お互いの家の近い関係もあるだろうが、一日に一遍は決って何方かが、家を訪ねあう。
 だから、彼女に用事がある場合、このお友達の堀越さんに逢った方が、より早くラチが開く−−−と、よく言われている。恐らく、仲の好いお友達であるだけに、他からやいやい言って呉れるかららしい。
 一寸ばかり為になるお友達−−−と、だから皆ながそう呼んでいる。
 そんな訳だから、彼女が洋服を作る場合とか、靴をあつらえるとかいう時は、決って彼女がいい相談相手になって呉れていて、面倒臭がり屋の彼女のために、秘書めいた仕事までもこの堀越さんはして呉れる。
「駄目よ。そんな嫌味なデザインのものなんか作ったりしては…」
 派手好きな彼女のことである。ぱっとした色気のものに誘惑されて、彼女がふらふらと買う気にでもなると、堀越さんは例のやかまし気が出て、決ってたしなめるので、その場合の彼女は、
「はい、済みません」
 と、引き下がるより外に手はない、という話である。久原良子との場合、ふたりを同性愛と言ったならば、堀越さんと彼女に関しては、一体何と言うだろうか?一寸ばかり興味の持てる問題ではないだろうか。
 そうした彼女は、体重十一貫弱と言うように細々としているのが、あれでも根は健康なのか、そのきんせいの取れた身体は、割合いに病気しないと言う。映画スターとしての仕事は、大抵健康にめぐまれたものでなければ、出来ないと言われているが、恐らく彼女の伸び切った肢体は、映画スターとして打ってつけのものであろう。
「スポーツでもやる?」
「スキーよ。勿論これは、まだ始めたばかりだから、そう上手ではないけど、とても好きになれそうなの」
 と、言い終えると、また身体をくの字なりにくねらせる。その癖がたまらなく印象的である−−−という事は、恐らく彼女は、気付いていない事であろう。そして、
「去年は奥日光へ行ったの。だけどあそこへは、今年も行って見たいわ」
 今は夏−−−その夏の現在から、スキーを語ろうなんて、あまりにも気早やなような気がするけれど、彼女は一向平気らしい。
 気の早い事が、私の特色−−−そう言いた気な所までも、ちらほらする。
 そうした彼女であるだけに、話題に興味が持てると、次から次へと、限りなく自分から話題を見付けて来て、相手を面白がらせるという事は、彼女の先刻も言った巧妙な会話術と待って非常に付き合う人に、親しみ易い感じを覚えさせる。
 だから、この彼女の会話に引きずられて、夕方まで話し込んでしまった−−−という人のある事も聞いた。すると彼女は、
「お話してると、世間のことを、色々と教えて頂くような気がするんですもの……」
 と、それが話題好きの彼女の言い訳めいたものである。が、それが本当とすれば、彼女を見る世間というものは、もうかなり広くなっていなければなるまい。


〔メモ〕
 桑野通子の銀幕デビューは1934年(昭和9年)。あっという間にスターの階段を駆け上り、翌年にはヒロインを何本も演じるようになっていた彼女だが、この頃の松竹における彼女のキャラクターというか、世間へのイメージアピールは、清楚な日本女性というより、活発で現代的なモダンガールだったことが「蒲田」を読むとよく分かる。
 後年に出されたスターの自伝や松竹関係の回顧録的な本の中では、控えめで気取ったところのない女性だったということが書かれているので、桑野通子=外見はモガだが中身は大人しく優しい人…というイメージで、そのギャップを魅力のひとつと捉えている方も多いと思う。その先入観も手伝って、この時代の彼女の言動(とされているものが載った記事)に触れると、結構見当違いで驚くというか、違和感を感じる。もちろん松竹のイメージ戦略によるものが大きかったのだろうが、意外とこのままのところもあったのかもしれない。
 桑野通子とデビューが近く、ライバル的存在とされていた高杉早苗は、対照的におしとやかなお嬢様とされていることが多い。

<旧字体、旧仮名遣いについて>
旧字体及び旧仮名遣いは、新字体に改めました。また、現在一般的に読みづらいと思われる漢字についても、ひらがな及びカタカナに改めました(伯林→ベルリンなど)。ただし送りがなは、現在一般的に使われているものとは違いがありますが当時のままに記載しています(暮らし→暮し、上がり→上りなど)。

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