たばこのゆめ 清水宏

2018.05.31

清水 宏
オール松竹 1937年(昭和12年)6月号


 和やかな春の陽が、俳優部や真白な壁に美しい花を付けた櫻の影をうつしている。
 時計台広場のクローバーもすっかり萌えて、緑の色が清純で如何にも清々しい。
 僕は自分の部やで椅子に寄り掛り乍ら、この窓外の風光を眺めて居る。
 何も考えずにポツネンとただ一人、もう小一時間もこうしている。好きな、チェリーをつい四、五本も吹かしてしまったか。
 静止ジットして居ると自然と睡魔が襲って来る。また煙草に火を付ける。如何にもがない。こんな時に誰か訪ねて来てくれたらいいのになア---と考える。然しそこはよくしたもので退屈で退屈で身体を持て余して居る時なぞは決して来ないのが、訪問客である。
 仕事に追われて多忙でやり切れない思う時に限って、何月何日貴殿を訪問したいと思う。他に友人二、三人連行する故、よろしく見学させて頂きたい---なぞと云う書面を寄越す。
 忙しい時は如何に親しくしている人(たとえば親)が訪ねて来られても、仕事だからと云って自由に見学して貰うより仕方がない。
 由来撮影の仕事は、時間通り行かない事と、明日のプランさえその日になって見なけれ確然としない性質を持っているので、前以って通知して置いたと泣言や苦言をきかされる事は勘弁して頂きたいのである。
 そんな事考えて居ても、誰も来ない。今日でも来れば、思いのままに案内して上げるのにと思ってもみる。全くがない。
 プカリプカリと、煙草の輪を作って見る、一ツ、二ツ、三ツ……見事に天井にとどく。静かな日和のせいでもあろうが、又半面、僕の肺活量の逞しさを物語るものだ---と、敢えて自負する次第である。
 浜中時代に鍛えたおかげで、今でもおそらく、競泳の方では負けるかもしれないが、潜水だったら豊田くんにも負けない自信がある。
 水泳の事など想い出して居る間に急に泳いでみたくなって来る。人間なんて変な動物である。
 静止ジットして居ると眠くてたまらない。


<旧字体、旧仮名遣いについて>
旧字体及び旧仮名遣いは、新字体に改めました。また、現在一般的に読みづらいと思われる漢字についても、ひらがな及びカタカナに改めました(伯林→ベルリンなど)。ただし送りがなは、現在一般的に使われているものとは違いがありますが当時のままに記載しています(暮らし→暮し、上がり→上りなど)。

<掲載について>
著作権法における、団体名義の著作物=公表後50年で保護期間終了という解釈のもと記事を全文掲載していますが、​問題がありましたら こちら からお知らせいただければ幸いです。