われにやさしき人多かりき

2019.06.11

 田辺聖子さんが亡くなった。
 もっとショックを受けるかと思ったけれど、ついにこの時が来たなあ、と心は静かだった。ここ数年、心のどこかでいつも覚悟していたように思う。もう何年も、あたらしく書かれた文章を目にしていなかったので。

 私は、小学二年か三年か、そのくらいの頃に祖母の本棚で田辺さんの本に出会った。「ラーメン煮えたもご存じない」というエッセイで、子供にもスラスラと読めて、面白かった。児童書以外での、私のほぼ最初期の読書体験と言っていいと思う。祖母の本棚ではいろんな作家と出会ったが、この本と曾野綾子さんの「幸福という名の不幸」は、いちばんの親友となり、その後二十数年、折にふれて読んできた。

 田辺さんは語彙選択の名手である。現代ではあまり目にしなくなった表現をよく使われるが、前後の文によく馴染む、これピタリ、という語を持ってくるので、たとえ読者がその言葉自体を知らなくても、直感的に意味がわかるのだ。古い言葉を使いながら、文章はけっして難解にならないから、子供でも読めるものが多い。
 十代の頃はエッセイを夢中で読んだ。二十代になると、そこに小説が加わり、三十代の今は古典案内の本がいちばん面白いと感じている。
 ここ十年ほど、新作が読めずさびしい気持ちもあったけれど、手元にはたくさんの著作があり、その色褪せない文章は、いつでも新作を読んでいるかのように私を愉しませてくれた。
 田辺さん、ありがとうございました。これからも、どうぞよろしくお願いします。

 これは田辺さんが七十五歳になった頃に、日記の余白に書きつけたという、ご自身の半生を省みての言葉である。
 私も、老齢にこう思えるような人生を歩みたいと思っている。

過ぎしこと なべてたのしく
むかしびと
われにやさしき 人多かりき