私が、祖母の本棚にあったこの本を手にしたのは、まだ小学校の低学年のころで、はじめは意味もよく分からず、とばしとばし読んだのだが、印象的な題名は子供心にも強烈に残った。
 幸福という名の不幸。
 幸福とは、本当は幸福ではないかもしれない。幸福という名前がつけられただけの、不幸なのかもしれない。
 全てのものごとは一様ではない、いくつもの顔を持っていて、人生にはどんなことも起こり、我々がその意図を掴むことは不可能である……。
 男女の出会いと別れを表面的なテーマとしながら、ひとつの明確な人生観を提示し、描く、この物語は、私に大きな影響をあたえた。

 榎並黎子は、十七の時に父親をなくし、大学に行くことを諦めて、あるイギリスの紅茶輸入会社の支社長、余語善三郎の秘書となる。若い黎子はやりがいのある仕事に充実した日々を送りながらも、幸せな恋愛を夢みる。そのうち偶然出会ったり、縁談が持ち込まれたりして、何人かの男と出会うが、いつも相手の粗が見えてしまい、うまくいかない。
 粗のない人間などいないということはもちろん黎子にも分かっており、自分自身にも愚かな面があることを冷静に自覚もしている。完璧さを求めているわけではないのに、うまくいかないのはなぜか。
 精神を病んで、黎子に好かれていると妄想する同僚の畑一郎。
 自分が家業を継がないことを負い目に思う真面目な千崎秀夫。
 博学で強引で男らしいが、出会ったばかりの黎子に高価なレインコートや300個もの卵を買い与える北畠尚之。
 姉夫婦の破綻した結婚生活を見て、結婚に諦めを持つ余語の義弟、水島茂。

 二十歳を過ぎた頃、黎子は高校のクラスメイトが白血病に冒されていると知り、見舞いに行った先で児島慎之介という青年と出会う。聡明で情熱的な慎之介に、黎子は恋をする。自動車免許を取るために、大切な外交官試験の受験を飛ばすような慎之介を、若い黎子は心の底から愛し、二人は結婚を約束するが、幸福な婚約期間のさなか、彼はダンプカーと正面衝突してあっという間に命を落とす。
 憔悴していったんは慎之介の後を追うことまで考えた黎子を、時間は残酷にも癒し、そして、また、次々に男たちが現れる。
 不自然なほど人間ができすぎた水木勝彦。
 動物や植物には細やかな神経を使うが、人間に愛情を持たない里見順三。
 航空工学の女性研究者と恋に落ち、黎子と付き合う前に去ってしまった伴良造。
 死んだ母親の遺体に添い寝する刑部照秋。
 ゴルフにしか人生の実感を見出せない、加賀美昇。
 人懐こく、人がいい岸見尚典。
 誠実で穏やかで、黎子が一瞬心から惹かれたにもかかわらず、失踪してしまった芳賀一好。
 黎子も既に二十代半ばを過ぎ、性懲りも無く出会いを求める旅に疲れを覚え始める。縁談は途絶えず、会うだけは会うが、どうしても男たちと縁が結ばれない。

 ある日、黎子は取引先の客から、あなたはずいぶん長く勤めていると感心され、支社長の余語が、ここまでくると辞められては不便で、こちらから手離さないようなところがある、と返したのを傍らで聴いて、静かな衝撃を受ける。何気ない余語の言葉に、なぜそれほど心を動かされたのか。黎子は、自分の中にずっと余語が住んでいることを、ようやく自覚する。
 余語には妻子があるが、妻は絶えず若い愛人と不倫をしていて、余語曰く、悪縁で結ばれている夫婦である。
 十八の黎子が余語と出会ってからの長い年月の中で、二人は何度か危うい緊迫感にさらされたことがあった。
 黎子がまだ仕事を始めて間もない頃、妻が小さな子供たちを家に置き去りにして愛人のもとへ出かけてしまい、余語と駆けつけ夕食を食べさせた時。
 二十代半ばになった黎子の近況を聞くために余語が宿をとってくれ、二人で箱根へ出かけた時。
 そして、余語の子供の話をしていて、余語が「自分は男だからか、子供さえよければいいとは思えない」と黎子を見つめ呟いた時。
 実際には二人とも常識を失うことはなく、そんな瞬間などなかったかのように、時は流れる。
 ただ、読者である我々は、黎子が余語を愛していることに、物語の序盤から気づいているのだ。黎子の縁談がうまくいかない背景には、いつも余語の影が見え隠れしているからである。
 黎子は男たちと会うたび、無意識に余語と比べている。唯一本当に愛した慎之介でさえ、黎子はどこかに余語の面影を見たからこそ惹かれたとも言えるのだ。ここに曾野綾子氏の筆力があり、黎子の人生に余語が直接関わることは、ここまで殆どないにも関わらず、彼女の人を見る目が、余語の生き方、考え方に大きく影響を受けていることで、自覚もないままに余語を愛していることを読者にさとらせるのである。
 黎子は、自分の想いを打ち明けたらどうなるのだろう、と考えるようになる。余語がその想いに応えられない場合、黎子を遠ざけるだろうし、また、月並みに愛人にすれば、黎子は失望するだろう。どちらにしても、彼女は余語を失うことになる。
 余語の紹介で、淡瀬守という傘メーカーの社長令息と見合いをするが、孤独から抜け出すことはできない。

 愛と絶望に苦しみながら、彼女は最後に大津幸一という青年と出会う。大津は酒飲みで、人生を諦めたような悲しい影を帯びた男であるが、黎子はその影に惹かれ、孤独を分かち合う相手としての縁をはっきり感じる。
 ところが、黎子が長い旅路の末にようやく小さな連帯感を感じた大津は、彼女に求婚をした数日後に麻雀屋の二階から落ちてあっけなく死んでしまう。黎子の返事を聞くこともなく。
 黎子は自分の運命が示すあまりの結末に打ちのめされ、衝動的に余語に電話をかける。自分の名を名乗れずに受話器を置き、呆然と佇む彼女に、察知した余語からすぐに電話がかかって来る。そして、彼は車を飛ばして黎子のところへ、やって来る。

 物語の結末は、全篇で、最も美しい。
 余語が語る言葉は悲しく、淋しく、しかしこの世の真理であると私は思う。



 乳色の霧は晴れかかっていた。気温が冷えて来たのであろう。五里霧中ではなく、冷やかな現実が次第に見えつつあることが感じられた。
 十分ほどで、一台の車がゆっくりと黎子の前で停った。余語は急いで家を出て来たらしい。アノラックを着て運転席にいた。
「乗りなさい。どこかへドライヴに行こう」
 黎子は黙って、余語の隣の席に坐った。
 余語は何も聞かずに車を出した。霧に洗われた後の町は、すべてがみずみずしく濡れていた。
「何があったのか知らないけれど」
 余語は穏やかに言った。
「君が今、人生に決定的な答えを出そうとしているんだとしたら、大きなまちがいだ」
「−−−−−」
「あらゆることが起る。しかし、その意味するところを、我々が掴むことは、恐らく不可能なんだ」
「ひと一人、死んでもでございますか?麻雀屋の二階から落ちて……」
「人間は皆、無駄な死に方をするよ。有効な死に方をできる人なんて、めったにいやしないんだ」
町を出はずれた畑の傍で、余語は車を停め、エンジンを切った。
「可哀そうに」
 余語は言った。それから、彼はごく自然に黎子の手をとった。
「僕も、あなたには、殆ど何もしてあげられない。只、僕の娘たちの未来を、あなたに見て、心をいためているだけだ」
 余語は黎子の手を、両方の掌にしっかりと握りしめた。
「あなたが、しあわせになって貰わないと困ると思う。それまで、くじけてはいけないと思う。絶望することは、やはりどう考えても思い上がりだという気がするな。何に対してかよくわからないけれど−−−何かに対する冒涜のような気もする。
 そうだ、こう言おうか。今の時代は絶望する方がスマートだから、だから僕はともかく、さし当り絶望したくないんだ」
 黎子は笑おうとした。
「今日、閉されたように見えても、明日は違うかもしれない。だけど、僕たちには明日が見えないから。これはよくできたカラクリですよ。明日に希望をつなげなんて、子供だましだ、エセ・ヒューマニストの言うことだ、という感じも僕にはよくわかる。僕らは、誰もが、その予感にだまされて一生を送るんだ。しかし、それでいいじゃないか。あなたにせよ、僕にせよ、決してそれ以上の眼力や才能のある人間じゃあないんですから」
「はい」
「いいことも、悪いことも、明日はどうなるかわからない。これは本当だよ。悲しいながら、滑稽ながら、本当ですよ」
「はい」
 余語の掌のぬくもりが、黎子を包んだ。一人の人間が、他の人間に救いの手をさし伸すことの、それは一つの儀式のような温かさだと黎子は思った。
 この手には一つの明確な意図がある。決して逸脱せず、人生のかなりの部分を諦めて生きることにしか、やはりどうしても美を感じられない人間の、悲しみがある。
 黎子は、余語の手を一つの祭壇と思った。その祭壇の前に、自分は今、ぬかずくような思いであった。
 余語に対する忠実さを全うしたいなら、余語の人生に対する美学を受け入れねばならない。
 只、こうして温かい手だけを与えられて……それだけで、信じ難い明日を信じる。それは単なる希望でもなければ人間の善意などという甘ったるいものでもない。それはむしろ、もっと乾いた人間の任務に近い。重く、暗く、苦い強烈な人間の存在のからくりに身を任せる。そして、その虚しさと途方もなさに、改めてうちのめされることだ。
 それでいいのだろう。この手からは、いつか決然と離れねばならない。余語らしい生き方を全うさせるためだ。その時、初めて、榎並黎子も又、一人で生き、一人で死ぬことのできる人間になる。
 それは不可能ではないのだろう。今は信じがたいことだが……。
 黎子は再び震え始めた。霧はますます晴れて、町の灯の上に、一つの意思の凝りかたまったような冷たい星が光っているのが見えた。


曾野綾子「幸福という名の不幸」


大濠公園

2016.03.09

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その別荘からの眺望は悪くなかった。眼下に大きな落葉松林が続いていて、その迥か遠くには雪を頂くアルプスの連峰が見えた。別荘の庭のデック・チェアに坐って遠くの山を見ていると、ときおり、郭公の鳴く声が聞えて来たりした。そして郭公の声を運んで来る風は心地良く肌に触れ、人を追憶に誘うかのように思われる。
—何年目かしら?
ニシ・アズマはデック・チェアに坐って考えた。彼女は淡い水色のブラウスに同じ色のショオツを穿いて、いとも涼しそうな格好をしていた。何年目かしら? 彼女が前にこの別荘にやって来たのは、まだ学生の頃である。もう四年ほど経っていた。その頃彼女は詩を読むのが好きで、遠い山に向って詩集の頁を翻したりした。いま、デック・チェアに凭れて、遠い連峰を見ていると、その頃読んだ詩の一節が甦って来たりした。


今日、つくづくと眺むれば
悲しみの色口にあり。
…………

十二号 「黒いハンカチ」より  小沼丹

住宅地の高台に建つA女学院の教師、ニシ・アズマ女史が、身の回りに起こる事件を飄々と解決する、連作探偵小説です。1957年(昭和三十二年)に雑誌『新婦人』に「ある女教師の探偵記録」という副題で連載され、1958年に三笠書房から「黒いハンカチ」として出版されました。
著者は、小沼丹。

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「黒いハンカチ」連載雑誌 新婦人(1957年8月号)

私が小沼丹のことを知ったのは、2002年に新潮文庫から出た、北村薫氏編集の「謎のギャラリー-謎の部屋-」に「指輪」と「黒いハンカチ」の二編が収録されたことがきっかけでした。それからほどなくして、この創元推理文庫が出版されたと記憶しています。私同様、この本でその存在を知った人も多く、再注目されたのだと思います。
(余談ですが、この「謎の部屋」は、他にも物凄く面白い作品がずらり。ぜひ読んでみてください)

小沼丹の文章は、淡々としていながら洗練された、さながら甘くないお菓子のような味わい。
ゴテゴテしたクリームの甘さとは無縁の、一粒のビターなチョコレート、もしくはカリッとした焼き菓子……。
本人は、それさえも甘すぎるように感じたのか、後年になると、作品はよりさっぱりとした私小説や随筆へと移行していきます。

私は初期の甘さをのこす小説が大好きです。
「黒いハンカチ」をはじめ、さわやかな長編青春小説「風光る丘」や、芥川賞候補の「白孔雀のゐるホテル」、江戸川乱歩編集の雑誌「宝石」に書いた短編のミステリ……。
中間小説から純文学までいろいろですが、品のある筆致は変わりません。

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宝石(1960年1月号) 「みちざね東京に行く」を収録。

「黒いハンカチ」は、東京創元社のwebサイトで、冒頭を立ち読みすることができます。
こちら

他の著書でいま買いやすいのは、講談社文芸文庫から発売している初期の短編小説や後年の私小説など。
こちら


DRINK

2016.02.03

冬でも、たまに冷たいものが飲みたくなります。

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DRINK

2015.09.09

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お盆の迎火

2015.08.13

庭で焚きました。
炎を眺めるのは大好きで、ずっと見ていられます。

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あっという間に燃え尽きてしまいました。
去年はもっと長く燃えていた気がするんだけどなぁ。